叱られた時の考え方


自分のことを褒めてくれる時には好感をもち、よく従いますが、その相手に少しでも注意されたり叱られたりすると、その人を突き放してしまうことがあります。相手とはそれきり仲良くできないし、気まずく、苦しい思いをしながら一緒にいなければなりません。

対話は、言葉の裏に「心」「情」というものがあることを忘れてはならないと思います。心を受け取らず、文字だけを受け取ると、怒りや寂しさがこみあげてきます。そして、その人は自分にとっての敵だというように、悪い人だと絶対視する感情や考えが浮かぶようにもなります。

ではどのように考えれば良いでしょうか。例えば、親から褒められたら喜ぶし、叱られたとしても根本的に嫌いになったり、心から嫌いで縁を切るという感情を抱くことはほとんどの方が無いと思います。それは、幼いころから自分のことを受け入れてくれ、認めてくれる存在であったからです。少なからず「心」が通じているし、愛をもって接してくれているのがわかるから、叱られても親を「悪い親」と絶対視することはないでしょう。

また、ハサミをふりまわす子を親は当然叱りますね。「そんなことをしていたらダメだ」と。でもどうして親は叱るでしょうか。子を傷つけたいわけではありませんね。子を愛しているから、けがをすると危ないから叱るのです。親は子を想って言っているし、痛めつけたい心など全くないはずです。

ただ、社会で親と違うのは、自分のことを深くまで知らない人に言われると、言葉そのものだけを受け取ってしまいがちです。特に日本人は真面目だから、言葉通りにしなければならないと考えて行います。まるでロボットのようです。ですから、叱られて反省して次の行いに向かうのは良いことですが、叱ってくれたその人の「心」を汲んでみなければなりません。意外と、嫌な印象から愛情だったのだと考えがかわることがあります。職場や学校でぜひ「心」の会話をしてみて下さいね。

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