壁にぶつかって進めなくなったら


日常の中で、壁にぶつかって前に進めなくなることがあります。どうあがいても、目の前の環境はそう簡単には変わらないですし、どうしようと悩むことがあります。それをやることを止めようか、諦めようか、中断しようかと考えます。ですがそんな中でも、私は努力してきたのに途中で終わるなんて嫌だという気持ちもありました。

進むにはどうしたら良いでしょうか。一つは「方法を変える」ことです。方法を変えれば進めるかもしれません。ということは、最初にやった方法がただ間違っていたということだけで、絶対的に前に進めないということは無いということです。目的が明確ならば、方法を変えて行ってみようと考えました。例えて言うならば、車で行くべき道を自転車で行ったならば、時間内にたどりつけませんよね。途中で山も谷もあるかもしれません。ですから車という方法で行ってみようということです。

もう一つは「目的を再び考える、変える」ということです。目的が本当にそれで正しいのか再確認し、間違っていたならば、新しい目的をつくることです。これも例えて言うならば、Aという目的地が正しいのに、Bという目的地に向かって進みます。そうなると、せっかく自転車から車で行くという方法に変えたのに、Bという目的地に行くわけですからAにたどり着くことができません。

ぶつかったら他の方法でやる、ぶつかったら目的を再確認する、そのように新たに道を探してみましょう。思ってもみなかったことがみつかるかもしれません。

何をやってもうまくいかない


仕事やプライベート、人間関係、家庭環境など、私が困難な状況に置かれたときに、何をやってもうまくいかないと落胆していたことがありました。さらに周りと比べてしまうから、周りの人はうまくいっているようなのに、どうして私ばかりがこうなんだろうと考えているうちに、精神的にも肉体的にも調子を崩すことがありました。

ですが、よくよく考えてみると、うまくいっている人もそうでない人も、誰にでも必ず困難はあるし、苦しい状況に置かれることがあると思いました。それらをどう乗り越えて行くかは、それぞれ精神力や考え方によって行いが異なります。私はとても悲観的でしたので、考え方を変えてみようと思いました。

「いつでも私は有利な状況にある」と認識しようと心がけました。困難があれば、それに付随して成長できるでしょうし、メンタルも強くなるでしょうし、くよくよ考えていたことが後の人生に大きな結果をもたらすこともあると思ったのです。困難な状況に陥った時ほど、学ぶことが多いのです。ピンチはチャンスと言いますが、まさにその通りで、困難なことは有利なことなのです。そう認識するよう心がけていれば、心の器が広くなり、乗り越えることのできる精神力がつきますし、ほんのちょっとのことでは揺らがなくなり、自信がわいてきます。

自分はいつも有利だ!と思って乗り越えましょうね。

人に壁をつくってしまう


人の目を気にして生きていると、とても気疲れします。私は、人がどのように思っているのか気になったり、気にしていないと思っていても、潜在的にそう感じている部分があります。
相手に話すことが怖かったり、少し距離をおいたり、心を開いて話すことができなかったりします。何かしらの壁があって、話す相手はごく普通の人なのに、話していても心の扉を締め切ったまま、素の自分を出すことができないでいるのですが、何が引っかかっているのかがわかりませんでした。また、少なからず相手は自分のことをマイナスイメージとして受け取っていると認識していることもあります。

知人に相談してみたところ、「人が自分を悲しく思っているだろうとか、マイナスイメージに思っているだろうという認識は、自分自身が自分をそのように見ているからだ」という答えが返ってきました。この答えは私にぴったりでした。そうなのです。いつも私は自分のことを悲観的に考え、悪い方へ考え、自分に自信がなく、精神力もなく生きていました。ですから、相手も「○○と思っているだろう」と勝手に誤解して考え、相手に心を開けなくなっていたのでした。

つまり、自分のことをどう認識するかで、周りが自分のことをどう感じているのかを見る目が変わってくるということです。
まずは、自分に自信をもつことが大切です。「自分はこうだから。。。」などと悲観的に考えることによって、周りからそのように思われているだろうと勝手に解釈してしまうのです。

相手を見る前に、自分自身をどう見ているのかがキーになってきます。自分を褒めてあげて自信をもちましょうね。

他人を羨ましく思ってしまう


隣の芝生は青く見えると言いますが、人の幸せを見ると、羨ましく思ってしまうことがあります。それが時には嫉妬や妬みにもなることがあります。私は嫉妬をしたり、妬んでしまうことがありました。私は苦しい思いをしているのに、あの人はなぜあんなにも幸せな思いをしているのだろうと悔しくなりました。そう考えてしまうのは、実際にそのような状況下にあるからだとも言えますが、その瞬間しか見えていないからです。そのことだけで頭がいっぱいになって不安がったり憤慨したりするのです。

確かに、その一部分だけを切り取って見たら、相手は幸せで、自分は不幸だと言えるでしょう。しかし、長い人生を見たときに、その先どうなるのかは誰にもわからないし、人や環境がどのように変わっていくのかもわかりません。その時見ている一部分がまるで人生の大部分であるかのように感じ、希望や絶望になるのです。

ですから、その場は人生のほんの一瞬の出来事であり、自分にも幸せなことは必ずくると信じることで、苦痛も和らぐと思います。ある人が私にこう言いました。「誕生日を祝ってもらっている人を羨ましく思うのか?でも自分が祝ってもらえる時が必ず来る」と。そのように、祝ってもらっている人のことだけを考えると羨ましく思いますが、1年の中で祝ってもらえる時が必ずくることがわかっているならば、羨ましく思うどころか、祝福したいと思いますよね。

自分にも幸せと感じられるときは必ず来ます。そんな時に、相手は苦痛の中にいるかもしれないし、どうなっているかはわかりませんよね。長い目で見ることが大切です。

感情がころころ変わってしまう


私は新しいものが大好きです。新しい出会い、新しい物、新しいチャレンジ。それらにたくさん挑戦したいと思ってあれこれとやりましたが、やりたいと思うほど努力もできなくて、結局得るものがなかったと思うことがありました。やりたいと思うわりには、そこまで執着もしていないし、行動に至るまでの熱い心もありませんでした。心があれこれと変わって、ただの好奇心のかたまりだったように感じています。そして疲れてしまうのです。

私が出した一つの答えは「単純」だからです。人の心、感情というのは、一日に何回も変わります。その場の状況に応じて、「見るもの」「聞くもの」など、五感で感じた情報に対して様々に反応します。見るもの聞くものに単純に反応し、それに向かって何も考えずに取り掛かるから、長く続かない自分に気が付きました。

もっと真剣に考え、何をやりたいのか、どうしてそれをやりたいのか、それをやるに当たってなぜそれを行うことを選んだのか、動機と目的を考えました。整理できてきた時に気が付いたことは「意志」が大切だということです。「感情・思い・心」と「意志」とは、似ていますが、異なる次元にあると私は思っています。感情は単純なのであれこれと状況によってかわります。しかし、意志とは、環境や状況によって単純に変わることは少ないです。

瞬間の感情だけで動きだすのではなく、それが自分の意志、核心となるならば、長く続けるきっかけになると思います。自分を見つめなおす時間は本当に大切ですね。

すぐ感情が表に出てしまう


自分が堪えることができない状況になったときに、感情がわき上がってきて、人や物にぶつけることがありました。でも後で自分を客観視してみると、自分がいけなかったことであったり、自分の勝手な思いこみによる誤解であることもあります。そのようなことが度々あったので、どうにかしてすぐ感情を出してしまう性格を変えたいと思うようになりました。

何がいけなかったのだろうと考えると、何か事が起こった際に、自分のことしか考えられなくなったことが一つの原因でした。物事の真実を知らず、相手の気持ちを考えず、空気も読まずに、勝手に自分が誤解して判断を下してしまうのです。それによって誤解が土台となってその上に悪い感情がわき上がってきます。感情がわき上がると、そのことだけしか考えることができなくなります。

それを防ぐためにはどうしたら良いのでしょうか。
自分なりに出した答えは「判断するな」です。結局、真実が何なのかわかりもしないうちに、氷山の一角のような表面だけを見て判断し、誤解していたのでした。場を理解して冷静でいるのが難しければ、その場で判断を下すことをやめることで、悪い感情がわき上がるのを少しでも防ぐことができると思います。
勝ってな判断は、誤解をまねくのでとても注意が必要です。ストレスをためないためにも、感情をうまくコントロールしていきましょう。

全てのことにつまらないと感じてしまう


資格の勉強をしていましたが、とてもつまらないと思いながら勉強していました。楽しいことだけをやりたいけれど、実際はそればかりでは生きていけないことがたくさんあります。そのような時、私はお世話になった先輩の言葉を思い出します。私があることに誘われて参加しようか迷っているときに「それは楽しいのですか」と尋ねたことに対して「楽しいか、ではなくて楽しむんだよ」と教えてもらいました。

楽しいことをやることと、楽しんでやることは異なります。やるべきことに対して、幼子のように楽しむのです。楽しいとは思えないけれど、楽しいと考えるようにするだけで、自然と楽しくなってきます。そうしているうちにそれができたことへの喜びがあったり、集中力が増したり、気持ちが進まないことに対して乗り越える精神力もつきます。

その時の気持ちと、考え方との関わりは非常に密接な関係にあると思います。心持ちが良くない時であっても考え方次第でその先が変わるということです。負の考え方をしていれば、心が落ちていきますし、病んでしまったり、諦めたり、持続力がなくなったりします。すっきりしないですし、達成感もありません。だけれど、プラスの考え方は、気持も変える力をもっていますし、その結果を大きく変える力も持っています。ですから、自ら楽しいと思って行うことはとても大きなことなのです。

一瞬の感情を治められない


私は、衝動的な感情をを治められず、人にきつい言葉で当たってしまうことがありました。後に、なんてことを言ったのだろうと思うのですが、感情がこみ上げてきた瞬間というのは、自分の感情で頭がいっぱいになって、相手のことを考えられなかったり、自分を客観視できなくなります。本当の心はそうではないのに、一瞬の感情で血気に満ちたり、自暴自棄になったりします。このようなことを繰り返していると、誤解されやすくなりますし、自分が損をします。

しかも、私の問題点は、物には当たることはありませんが、人に当たってしまうところです。人に依存しやすくもあるし、人に牙をむけやすくもなります。これでは周りを振り回してしまうのでとてもやっかいな性格です。しかし、感情を押さえ込むのはよくありません。押さえ込んでもため込んで爆発してしまいます。

誰しもが必ず何らかの一瞬の感情を治められなくなる時があると思いますが、それをうまく解消できる人は、①考え方を変えられる人②気にしない人③カラオケやスポーツなどの「人」以外で解決することのできる人だと思うのです。

すぐには変わらないので、私はまず、人に一瞬の感情をぶちまけたり、過度に依存することをやめようと思いました。ネットで同じ境遇の人と交流を交わすのも良いですし、前向きに考えられるような話題のある文書を読んでみても良いでしょう。他に楽しいことを探すことなどして、うまく感情をコントロールしていくことが大切だと思います。

時が過ぎれば自分を客観視できるようにもなると思いますので、うまくできなかったところは徐々に克服していければ良いと思います。
私もまだまだ練習が必要ですが、少しずつで良いので進んでいきましょうね。

辛いことがある時ほど感謝しましょう


人は、喜ばしいことがあったときによく「ありがとう」「感謝します」といいます。しかし、辛いことがあった時には愚痴や悪口、諦める言葉、悲しい言葉などの不平不満を発します。私も今までそのようでした。でも、そのような言葉を発するほど、イライラやストレスがたまったり、後になって後悔したり疲れたりします。

私は最近、辛いことがありました。心が苦しく、その感情を抑えようにも収まらなくて、愚痴をこぼしたりしました。でも、考えれば考えるほど、苦しくて辛くなるだけでした。自分が悪いこともわかっていますし、相手にも過ちがあったこともわかっています。ですが、自分の現状をみたときに苦しさでいっぱいになっていたのでした。それでも、これからはそのようにするのはやめようと決心しました。

どう考えたらこの苦しさがなくなるだろうと考えました。そのようなとき、辛いことはいったん自分の隣に置くようなイメージを浮かべて、自分の心を空っぽにするのです。そして、「感謝」するのです。何に感謝するでしょうか。「今の自分があること」に感謝するのです。辛いことになってしまったけれども、今の自分がこのように生かされていることに感謝するのです。最初は苦しくて涙が出てきましたが、口に出して感謝を続けました。辛いことがあったことで、次につなげられること、新しい自分に生まれ変われること、苦しさをバネにして自分が成長できることに感謝し続けました。すると、漸進的にではありますが、心に平安がおとずれたのを感じました。悪口を言ってすっきりしていたのとは、感覚が全く違うのです。

そうしているうちに、日々の生活に感謝するようになりました。食べること、着ること、今の自分が生かされていること、小さなことから大きなことまで感謝するようになりました。今までは不平を漏らしていたことにも、認識を変えて感謝するようになりました。すっきりするどころか、自らエネルギーを発することが出来るのを感じました。

いつも感謝するならば、辛いと思っても、毎日が良い日になると信じています。

謝ったのに許してもらえなくて傷ついたとき


何かを失敗して、もしくは自分のせいではないけれど、謝らなければならない時があります。相手は怒って文句までつけて許してはくれません。それで心が傷ついたり、落胆して、自分は情けないですとか、自分のことを卑下してしまうことはありませんか。私は自分に自信がなく、自分のことを悲しい目で見ることしかできなかった人間なので、いつも落胆して悲しみにくれていました。

でも、私は考えました。たとえ許してくれたとしても、それで良いというのではないと思います。大切なのは、自分が「真実な心」で謝ることではないかと思います。真実な心で謝ったのならば、相手が納得してくれなかったとしても、それで良いと思います。真実な心というのは、表現することが難しいですし、伝わるかどうかはわかりませんが、心から謝ればそれで良いのです。

もし真実な心で謝っても文句を言ってきたりしたら、それは相手の人格の問題ではないでしょうか。そう思います。私も、謝ってもらう立場に立った時がありました。なかなか怒りがおさまらず、あれこれと言ってしまったことがあります。しかし後々に後悔しました。相手があんなに真実な心で申し訳ないと謝ってくれたのに、自分の性格やその場の感情で相手を傷つけてしまったことを後悔したのです。

ですから、大切なのは「真実な心」で謝ったならば、後に過ちを繰り返さないように努力するすれば良いのです。決して自分のことを卑下する必要はないと思います。真心は大事ですね。ぜひ参考にしてみて下さいね。

運動をして疲れをとりましょう


仕事で、精神的に疲れてへとへとになって帰るときがありました。疲れたときには、甘いデザートを食べたり、お風呂にゆっくりつかったり、マッサージに出かけたりしました。体を癒すことを目的に行っていたのですが、心がすっきりせず、体が固まって慢性的な疲れがとれなくなったときがありました。

ある日もとても体が疲れていましたが、所属していた運動サークルに行って思いきり体を動かしたところ、体がほぐれて精神的にもすっきりして、ベットに入ると深い眠りにつくことができました。次の日は若干の筋肉痛もありましたが、慢性的な疲れがとれたようでした。

ある人は「疲れたら走る」そうです。私は考えもしなかったことでしたが、確かに、疲れた体を動かすことで肉体も精神もリフレッシュすることができたのを感じました。肉体が疲れていると、精神的にも疲れます。精神的に疲れていると、肉体も疲れます。精神と肉体はつながっているのです。ですから、心のケアと肉体のケアは、授受作用があるということです。

もし、精神的にすっきりしないと感じた時には、運動をしてみても良いでしょう。体がだるいからと体を固まったままにさせてしまうと余計に疲れがたまったりします。運動で精神も肉体もリズムをつくることもとても大切なことですね。

何をしても満足いかないとき


どんなに好きなもの、おいしいものを食べても、好きな服を買っても、お金があってもなくても、満足できず、好きな人と一緒に居ても十分な心の平安を得ることができないなど、どこかしら心に穴が空いたような感覚に陥っている方はいらっしゃいますか。最近、若い人から幅広い年代で多くなっているような気がしてます。私もそのような感覚に陥り、寂しさが増して発散できないことがありました。

そのようなときは、「感謝」することがとても大切になってきます。特に、今の日本は経済的にも物質的にもとても豊かな国です。いくら不景気と言っても先進国ですし、他国に比べたらものすごく豊かな国ですよね。ですから欲しいものも便利なものも簡単に手に入るようになりました。娯楽を簡単に手に入れることができるような国なのです。しかし人は、手に入れると再び手に入れようとします。更に自分を満たしてくれるものを求め、楽しみを求め、欲求が増していきます。欲求ばかりが出てくると、手に入れることが出来なくなったときや、その事に飽きてしまったときなど、心が満たされなくなると思います。不平不満も出てくるでしょう。娯楽は一時の楽しみだと私は感じていますので、必ず空虚感が出てくると思っています。

そのような時、私はこのような生活ができていること、自分の肉体が、食べて、着て、寝るという基本的な生活ができていることに「感謝」します。また、自分を精神的に、物質的に支えてくれた周りの人に感謝します。様々な環境があるからこそ、今の自分が生かされていることを忘れてはなりません。「感謝」のある生活を心がけてみませんか。

お互いがぎこちなくなったときは、会って対話の時間を


恋人同士でけんかをしたとき、けんかをすることがあるでしょう。一緒にいることができないときは、メールや電話といった方法がとられます。このようなコミュニケーションは大切ですし、便利ですが、お互いがすれ違ってしまうこともあります。一言のメールで、ある人は前向きに受け取り、ある人は否定的に受け取ることがあります。その一言によって不安が生じたり、その人を想う気持ちが異なってきたりもします。

対話する上で80%くらいは誤解が生じると聞いたことがあります。個々で育ってきた環境、性格、考え方、表現方法、その時の気分などで発せられる言葉は異なってきます。それを受け取る側も、同じように個々の考え方や状況がありますので、たとえ内容が通じたとしても、少なからず、その深さや感覚が異なってくるわけです。

そうであるのに、メールや電話で済ましてしまうことは、時に傷つき、本当の気持ちが言えなかったりします。相手の表情もわからないですし、相手の言葉ばかりが刺さり、その心をくみ取ることがより難しくなります。そのようなことを防ぐためにも「対話」は非常に大切なものになると思います。時間をとって、自分の考え、気持ちを性格に伝え合うのです。そうしたら、相手が自分を責めていた言葉だと思っていたことが、本当は自分のために愛をもって言ってくれた言葉だとわかったりもします。また、その場の感情で話すのではなく、どのように話そうか、心を整理した上で話すことが大事です。

「誤解」で擦れ違いが生じることは、とてももったいないことではないですか?相手の表情を見ることができ、真実に話すことができるのは、やはり直接会っての対話ではないでしょうか。

前向きな言葉を発してみましょう


今までの人生で、一度は人を嫌いになったり、苦労して愚痴をこぼしたことがあるでしょう。憎しみや嫉妬は本当に心が煮えたぎるような思いになりますね。しかし、愚痴や人の悪口をいうことで、それが自分自身に悪影響を及ぼしてしまうことがあるのです。

ある人のことを嫌いで「あの人嫌い」と言い続けたとしましょう。そうしますと、自分の脳内は「嫌い」という動詞だけを受け取り、「嫌い」という言葉が自分自身に向けられ、自分を傷つけているということなのです。負のエネルギーの言葉ばかりを発していると、自分自身に負のエネルギーがやってきます。そして更に憎悪が増したり、負の心が膨らみます。それは結局自分を疲れさせてしまいますね。私もお恥ずかしながら人を憎んだり嫌いになったことがありました。でも、振り返ってみれば、本当に自分が疲れるだけのことでした。言葉の負のエネルギーを受けてしまったのです。

逆に、「あの人、素敵な人だね」とほめたり、感謝したりすると、脳内が「素敵」「感謝」という言葉を受けて、正のエネルギーをもらうことができるのです。「ありがとう」や「感謝します」と言えば、心が気持ちいですよね。これと同じように、もし自分が辛い状況におかれ、人を憎むようなことがあれば、「これは結局自分にとってプラスになるしかない人(事)だ」と前向きに考えるようにしてみましょう。そうすると、少しずつではありますが、プラスのエネルギーを受けて回復が早くなります。むしろ、その環境を利用して、自分を磨くチャンスにもなるのです。未だに私も不安定なときはありますが、「考え方」を変えるよう努力しています。皆さん、一緒に乗り切りましょうね。

人に相談することからも安定を得られる


心が雨模様の時は、一人で考え込んでしまいますよね。私は人に相談しないタイプだったので、一人であれやこれやと考え、結局ネガティブにしか考えられなくなり、負のループにはまってしまうことが多かったです。なぜなら、自分が経験したことは自分にしかわからないですし、事実と真実は異なります。ですから、「見た目」「聞いた内容」で人に意見を求めて判断されることは、真実とは異なるような気がしたからです。

話さないことで負のループから抜け出せなくなっていた私は、やっとのことで信頼できる人に相談しました。すると話を聞いてもらうだけで、自分の中のもやもやが解けて楽になりました。話すことは心を楽にしてくれるものです。また、自分だけが持っていた価値観や自己主観などを他の角度から見る良い機会になります。そこで対人間の視野が広まりもしますし、大いに今後の参考になります。一人で考えて自己完結すると、それで良い時もありますが、自分の考え方だけに留まってしまうこともあるのです。相談することは自分を磨くチャンスにもなるのです。

また、私は女性ですから、女性の視点でお話をしますが、女性の方は、女性に相談することをおすすめします。同性にしかわからない感情や考えがありますし、共感してくれたり、慰めてくれたりします。

男性に話すとなると、対応が少し異なってきます。女性が相談したことに対して、男性はなんとか助けてあげたいという責任感が生まれるそうで、「~した方がい」「それは○○すべきだよ」というように、ただ共感してほしかった女性は、話を聞いてくれていないように受け取ってしまいがちです。もし、何等かの答えを求めて、自分がどう実行すべきなのかを求めているならば、男性ならはっきりと答えてくれると思います。もし、男性にただ話を聞いてもらいたいときは、事前にそのように言っておくのがよいでしょう。そして、心が安定してきたら、実行すべきことをアドバイスしてもらうのも良いと思います。

一概に男性、女性で区別はできませんが、私の経験上そのようなことが多い気がします。相談してすっきりして、良い心境で過ごしましょう。

叱られた時の考え方


自分のことを褒めてくれる時には好感をもち、よく従いますが、その相手に少しでも注意されたり叱られたりすると、その人を突き放してしまうことがあります。相手とはそれきり仲良くできないし、気まずく、苦しい思いをしながら一緒にいなければなりません。

対話は、言葉の裏に「心」「情」というものがあることを忘れてはならないと思います。心を受け取らず、文字だけを受け取ると、怒りや寂しさがこみあげてきます。そして、その人は自分にとっての敵だというように、悪い人だと絶対視する感情や考えが浮かぶようにもなります。

ではどのように考えれば良いでしょうか。例えば、親から褒められたら喜ぶし、叱られたとしても根本的に嫌いになったり、心から嫌いで縁を切るという感情を抱くことはほとんどの方が無いと思います。それは、幼いころから自分のことを受け入れてくれ、認めてくれる存在であったからです。少なからず「心」が通じているし、愛をもって接してくれているのがわかるから、叱られても親を「悪い親」と絶対視することはないでしょう。

また、ハサミをふりまわす子を親は当然叱りますね。「そんなことをしていたらダメだ」と。でもどうして親は叱るでしょうか。子を傷つけたいわけではありませんね。子を愛しているから、けがをすると危ないから叱るのです。親は子を想って言っているし、痛めつけたい心など全くないはずです。

ただ、社会で親と違うのは、自分のことを深くまで知らない人に言われると、言葉そのものだけを受け取ってしまいがちです。特に日本人は真面目だから、言葉通りにしなければならないと考えて行います。まるでロボットのようです。ですから、叱られて反省して次の行いに向かうのは良いことですが、叱ってくれたその人の「心」を汲んでみなければなりません。意外と、嫌な印象から愛情だったのだと考えがかわることがあります。職場や学校でぜひ「心」の会話をしてみて下さいね。

心が窮屈になったら目をつぶって脳を休ませましょう


生きていると、心が窮屈になって落ち着かなくなることがあるでしょう。苦しくて孤独を感じたり、何をすべきかわからなくなったり、落胆したりすることで、心が締め付けられることがあります。

一旦すべてのことを横に置いて、何も考えない時間をつくりましょう。心を空っぽにしてからだの力を抜くのっです。5分間目をつぶって瞑想してみるのも良いでしょう。温泉などで、湯船につかっているときに目をつぶって休んでいる人を見かけたことがあると思います。神経が疲れてしまったときは、何も考えずに心、脳を休ませることで、少しでも心に余裕をもたせてあげることができます。

「落ち着く」「力を抜く」「集中する」などのようなことには、目をつぶって脳を休ませることが近道の一つでもあります。心が落ち着くと、冷静になり、考えていたことの整理がつきます。そのうちに、自分にとって何が大切なのかが浮かんだり、どうやって前に進めば良いのかがわかったり、アイディアを思いついたり、自分の存在価値を確かめることもできます。冷静になると、見えなかったものが見えるようになると思うのです。

また、集中力が増すこともあります。目をつぶって余計なことを考えなくなるので、雑多な考えが浮かばなくなり、集中する訓練にもなります。うまく心とからだのリフレッシュを行って下さいね。

SNS依存とは


電車や街中、様々なところでスマートフォンを手にしてSNSをチェックしている人を見かけるようになりました。とても便利になりましたが、朝起きたらSNSをチェックし、日中も隙ができればチェックするというように、いつの間にかネットにのまれてしまっている方も多いのではないでしょうか。確認しないと気が済まない、いつもネット上の情報や自分が書いた日記などが気になって仕方がなく、時間を奪われるようになり、疲れるようにもなります。

私自身もいつの間にかそのように依存してしまっていたことに気が付きました。脳に情報をいっぱいに詰め込みすぎて、脳が疲れてしまうのです。他に考えるべきこともあるのに、気が付けばスマートフォンをいじっているのです。

この依存を解消するには、まずはスマートフォンでSNSをチェックするのをやめることです。確認できるものを遠ざけることによって、他のことに集中できるようになります。禁断症状が出ることもありますが、本来自分が考えるべきこと、行うべきことがきるようにもなります。

外部的要素(SNSなど)で満たされ、自分というアイデンティティが薄くなっていると思った私には、自分の価値観、存在意義が高まったような気がしました。自分が行うべきことに集中できるようになったのです。好きなことに打ち込めるようになりましたし、食事や就寝前など、当たり前に送っている生活に満足できるようになってきました。友人との対話や仕事でも、なんとなく脳が疲れていたのに、より友人との会話が深まり、仕事にも集中できるようになりました。いかに自分の脳が奪われ、時間が奪われ、アイデンティティが薄れていたものかを実感しました。

”いつでもどこでも”の自由さの裏には、自己管理しなければならないという自制心が必要となります。自己管理できるのか、自制心を保つことができるのか、依存する前にそれを判断することも知恵かと思います。

共感してくださった方は実践してみてくださいね。

心も体も換気をして調子を整えましょう


外から帰ると部屋の中のもわっとした空気、気になったことはありませんか?私は換気の大切さをあまり理解していなかったのですが、換気をすることで精神的にも、肉体的にも良い方向へ向かう効果があることを知りました。

換気をする効果は、消臭や室温を調整をもたらすこと以外にもあります。その一つが除湿です。私の体はとても湿度に影響されやすく、それがわからなかった時は夏は冷房をつけていました。しかし不快感が拭い去れなかったので、冷房を除湿に切り替えたり、換気をしたりしたところ、爽快感が増しました。むくんだ体も和らぎ、呼吸も楽になり、就寝するときも気持ちがよかったです。

また、カビの発生にも予防があります。見えないところで湿気がたまってカビが発生し、カビのせいで体調不良を起こすこともあります。カビは胞子なので空気中を浮遊するので吸い込みやすく、様々なアレルギー症状を起こすことがあります。

もう一つは除塵です。空気中のほこりには、目に見えない有害な雑菌が付着していることもあります。もし一人暮らしであれば、狭い部屋にキッチンや洗濯物など多様な家具が置いてあるので様々な種類の埃が舞っている可能性があります。

私が頻繁に換気を行うようにしたところ、呼吸をはじめ、体が楽になったのを実感できました。また、精神的にも楽に過ごせるようになりました。最近のマンションやアパートは気密性がとても高いですね。意識して換気することを心がけましょう。心も体も解放してくれる手助けになりますよ。

一度に頑張りすぎてしまう人へ


目標のために飲まず食わずとは言いませんが、全力投球で突っ走ってしまうことがありますよね。一気に完全にやり遂げようと走るがために、途中で疲れきってしまうことがあります。そしてまたやる気を出して一気に行って、また途中で疲れ切ってしまうことを繰り返すのです。

マラソンをするとき、同じ距離を一定の速度で走るのと、ダッシュとストップを繰り返して走るのとでは、前者の方が楽ですよね。これと同じく、一定のペースで楽に続けることも大切なのです。

やりきろうという心構えも大切ですが、「続ける」という考えも大切だと思うのです。すぐに成果はでないけれども、絶えずやり遂げるまでコツコツ続けてくということです。一度に頑張りすぎないことと、途中で止めず、絶えず続けることが秘訣です。

そして時になって、コツコツと続けて努力したことが積み重なって、一定条件を超えたときに急速に大きくなったり、結果が出たりするのです。それに、持久力がつきます。最近は本当に持久力は大事だと思っています。瞬発力はあるのですが、なかなか長続きしません。ですから、最初は1しかできないとしても、毎日1を続けたらいつかは2になりますし、それを続けていけば良いと思うのです。

一度にやらなければならないこともあるでしょうから、うまく優先順位をつけながら組み合わせてやってみて下さいね。

大変なことがあって諦めたくなったとき


心に負担なことが起こってどうしようかと焦り、不安になり、諦めたくなる時があるでしょう。仕事や学業、人間関係と私たちをとりまく環境状況に、時に押しつぶされそうになることがあります。そのようなとき私は、目の前のことに背を向けて諦めたくなることがあります。

成し遂げようとしていること、やるべきことは人それぞれにあると思います。しかし、目的を成すことだけが良いことでしょうか。もちろん、結果として成し遂げられたら嬉しいですよね。ですが、困難にぶつかったとき、心が折れそうでどうしようもなく諦めたくなったとき、とても苦しいですよね。

私が困難にぶつかり、不安定な時期がありました。そこである人が一言くれたのです。「本当に大きいことは、最後まで行うことだよ」と。私はこの一言に助けられました。成功することが大きなことではなく、結果がどうであれ、それが問題ではなく最後まで行うかどうかが問題だと思いました。

私はできるだけ粘ろうと決心して行いました。結果としてはまだまだでしたが、精いっぱい最後まで行ったことに達成感を感じ、次もまたコツコツやろうという気になったのです。また、最後まで行ったからこそ、それまでの経験が役に立ったこともありました。そうしているうちにいつの間にか、目的を成すようになったのです。

結果が出ても、それで終わりではありません。最後というのは、人生が終わってみなければわからないし、結果が出たとしても一つの通過点としての結果にすぎないと思います。ですから、共感して下さった方は、諦めたくなった時、この言葉を思い出してみてくださいね。

言われたことに対してとっさに出る感情を抑える対処法


相手に思いもよらぬ良くない言葉を言われたとき、心がとても驚きますよね。時にはカッとなって、自分も相手に攻撃的な言葉を発してしまったり、時には言葉が突き刺さって一人で考え込んでしまったり。

そんな時は、カッとなったり、落ち込むことより先に、立ち止まって10秒、20秒、考えてみましょう。「なぜ相手はこのようなことを言ったのだろうか」と冷静になって考えるのです。そうしたら、意外と、相手の心が不安定だったからこそ、良くない言葉を発っしたりしたんだなということがわかることがあります。相手に嫌なことや、大変なことがあったのかもしれません。もしかしたら、悲しいことがあったのかもしれません。

原因は自分にもあるかもしれないけれど、相手の言葉の裏に隠された心の状態によっても、発せられる言葉や行いが違ってきます。ですから、良くない言葉を言われたあなただけの責任ではないということです。

私はそれに気が付いた時、むしろよくない言葉を発した相手を憐れむ心がわいてきたことがあります。決して相手を卑下して思うのではなく、「何かあったんだろうか」と本当に心配になりました。それで、相談にものるようになったのです。

発せられた言葉の裏には、その人の心の状態の不安定さがあることもあると心得ておきましょう。それだけで、冷静にもなれますし、分析したり、チームワークをうまくやる助けにもなりますよ。

 

言葉がきつい人からの対処方法


言葉は生活の中で伝達手段として必ず必要なものになります。それをどのように表現して伝えるかによって、相手にエネルギーを与えることもあるし、嫌に感じてしまうこともあります。人の感情や性格によって言葉は時には甘く、時には剣のように使われます。

時々、言っていることは正しく、内容もわかるけれども、言い方や表現方法がきつい人と接することがありますよね。そのようなとき、心を閉ざすような感覚になってしまったり、落ち込んでしまったりします。

そのようなときは、相手の言う言葉を自分なりに置き換えて考えてみましょう。例えば、「これじゃ○○できないよ」と言われたときは「○○したらできるのかな」と置き換えるのです。指示する人が使ってしまいがちな言葉の一つに「○○ではできない」という言葉があります。これは時には相手をそこで立ち止まらせ、否定させます。

上記2つの言葉の違いは何でしょうか。それは、肯定的か否定的かということです。「○○ではできない」という言葉は否定的であり、「○○したらできる」と前へ進む考え方が肯定的な言葉です。つまり、言葉がきつい人の中には、否定語ばかりを使う人がいます。もちろん、言葉がきつくても肯定的な言葉を発してくれる人はいます。でも、否定的なのか、肯定的なのかをわかって言葉を受け止めることは、心に言葉の内容がしっかりと入ってくるのか、もしくは、言葉だけが刺さり、自分が否定されたように受けとってしまうのかに分かれると思うのです。

些細なことのように思えますが、言葉は心に響くものなので、とても自分に影響が出るものなんですよね。まずは否定的な言葉を言われたら、肯定的な言葉に置き換えて考えてみましょう。これは、自分自身の考え方を前向きにするトレーニングにもなります。ぜひ、実践してみてくださいね。

布団に入ってもなかなか眠れない人へ


体は疲れていて休みたいのに、布団に入っても眠れないことはありませんか?翌朝起きても寝た気がしなくて慢性的な疲れを感じます。

眠れないことは、生活をおくる上で意外とストレスになっているもの。肉体的にも精神的にも負担になります。

寝る20分前くらいまでパソコンや携帯、テレビを見ていたりすると、その光のせいで脳が「活動する時間だ」と勘違いして体内時計が狂ってしまうこともあります。そうなると肉体は疲れているのに自律神経が興奮して眠りにくくなるのです。

このような時の対処法は様々にありますが、どうしても辛い場合は睡眠導入薬を処方してもらうこともできますよ。睡眠薬と異なり、眠る前にだけ効いてくれるお薬なので、朝起きても極度に眠かったりだるかったりすることはありません。
精神が安定し、安心して眠りにつくことができます。

お薬は控えたいという方は、漢方薬もあります。これは、睡眠を直接促すものではなく、精神的安定を促してくれます。

眠る数十分前には、携帯やパソコンなど脳を刺激するものは控えましょう。温かいミルクやお茶を飲んだり、アロマオイルでリラックスしたり、ストレッチをしてみたり。自分がリラックスできる方法を心がけてみて下さいね。

目的達成までに感じるストレスの解消法


目的を成そうとするあまり、出来ないことがあると、自暴自棄や落胆してしまうことがあります。完全に目的を成すまで、ストレスから離れられないのです。このようなこととどうやって向き合えば良いでしょうか。

目的を成すために、10のことがあるとします。やるべきことを1できたら、9が出来ていなくとも、1できた自分を存分にほめてあげて下さい。そして、1出来たことに自信をもって下さい。次に、2出来たとします。そうしたら同じように自分をほめてあげ、自信をもって下さい。このような考え方をしていくと、10達成することへのストレスが軽減しますよ。

では何故10行わなければならないことに対して、ストレスを感じるでしょうか。
それは、10のうち1達成したとしても、残りの9が出来ていないと落胆したり、まだまだ自分は出来ないと自信をなくします。積み重ねで10が出来上がるものなのに、1達成出来たことを見ずに、9達成出来ていないことばかりを気にするのです。

また、9を達成しても、まだ10出来ないと残りの1だけをみてストレスを感じます。そうして、10出来た時にやっと喜びますが、疲れた感じも拭いされないときもあります。これでは、10達成するまでの期間全てが、挫折や落胆、ストレスのかたまりになってしまいますね。

どんな小さなことでも構いませんから、これからは一つができたら喜び、自信をもって下さいね。

注意されると萎縮してしまう


生活の中で注意を受けたり怒られたりして、心が苦しくなり、萎縮してしまったことはありませんか?『確かに自分が間違ったのだけれど…』と思いながらも、自分が追いつめられたような絶望感を抱いてしまうこと、ありますよね。

相手は何を注意してくれたのでしょうか。注意の言葉を受けたとき、自分の存在すべてを否定されたと思ってはいませんか。そのような認識から、自分が今後生きていけないような絶望感が生まれることがあります。それは、あなたの存在を否定されたのではなく、行いや言動、性格などの身の周りのことだと思うのです。

あなたに、ある大切な人がいるとします。その人が間違いをしてあなたは叱ります。どうして叱りますか。愛するから、大切な人だから叱るでしょう。

これと同じく、怒られた、注意されたからといって、あなたの存在を追いつめようとして向けられた言葉ではありません。むしろ、あなたが大切だし、期待しているし、存在を認めてくれているからそう言ってくれるのです。

ですから、あなたは落胆して自分を追いつめる必要はないのです。注意を受けたり叱られたりしない人はいません。間違えたことがあるならば、反省はするけれども、では次は回復させようと次につなげれば良いのです。また、一度にできないとしても、一歩ずつやろうとする姿が、あなたを魅力的にさせてくれると思いますよ。

自信がもてないあなたへ


人と話したり行動する中で、自分に自信がもてなくなっている方はいませんか?なかなか仕事で成果が出せなかったり、学校で友人とうまくいかなくなったりと、要因は様々にあると思います。そのような環境の中にあると、自分を責めたり、卑下したり、自暴自棄したりと、心が苦しくなって辛い日々を過ごさなければならない時もあるでしょう。

でも、自信を持って下さい。というのは、あなたはそこに居るだけで大きな存在価値があるということなのです。

仕事で成果を出すこと、ミスを無くすことや、学校のクラスや部活動で活躍することや役に立つことなど、各自で目的とすることや、気を付けていること、責任感が必ずあると思います。思っていなくても、潜在的に感じていると思います。

しかしそれは、生活の中で「何等かの条件があってこそ認められる」という存在価値が生まれてしまうことに気が付きました。つまり、「何か役に立たなければ、自分を認めてもらえない」という認識です。このような認識が、自分自身がただ存在していることで素晴らしいという価値を落としてしまっているのです。

認識を変えてみてはいかがですか。私たちは人間です。喜びも悲しみも、人生は山あり谷ありです。しかし、何かができないからといって、自分の存在までも価値を落としてしまったら、うまくいかない限り、自分を否定するしかないじゃないですか。そうではありません。うまくいってもそうでなくても、あなたはあなたです。あなたという素敵な存在なのです。うまくできなかった時は、反省はするとしても、落胆する必要はないのです。次につなければいいのです。

自分に自信をもって下さいね。そうしたら、少しずつ、前に進めるようになりますから。

絶望感の中で立ち止まってしまう


今、不可能だ、もう乗り越えられないと困難にぶつかって絶望してしまう人はいますか。そこから抜け出すことができずに、立ち止まってしまう人はいますか。

困難は、その現状だけを見てしまえばそれが結果であり、終わりのような気がして、とてつもない絶望を感じてしまう時があります。しかしそれは結果ではなく、過程だと思うのです。

人生は山あり谷ありと言います。大小問わずたくさんの困難があると思います。しかしそれは、山を登っているから辛いのです。富士山のてっぺんに楽に到達できる人はいないでしょう。今、あなたはてっぺんに登る途中だから辛いのです。そこは終わりという結果ではなく、実は登っている過程なのです。ですから、頂上に向かって登っていく過程、つまり困難の中にいること自体が、希望でもあると思うのです。

もうすぐ頂上がやってくるから、自分の成長のために必要な困難であり、自分を変えるチャンスだとも考えられます。時には困難、落胆、挫折もあるけれど、それは結果ではなく、過程であることを忘れないで下さい。

もしまだ無理そうなら焦らずに、休みましょう。急ぐのと焦るのとでは違いますよ。少し気持ちが安らいできたら、まずは一歩進んでみましょう。一度に頂上に上る必要はありません。まずは一歩です。もしまた一歩下がってしまったら、また一歩進んで、もう一歩進んでみます。少しずつゆっくりと進んでいきましょうね。

 

人の反応が気になってしまう人


「人の反応を気にして、自分が不安になってしまう」ことについて書きたいと思います。結果としては…気にする必要がなく、もっと自分に自信をもって良いと思っています。

相手がイライラしていたり、落ち込んでいたり、行動や雰囲気で不安を感じる時ってありませんか?私はそういうとき、「自分のせいではないか」と不安になります。

特に相手に何かさせた理由もないのにも関わらず、「過去の自分の言動や行動」を気にしたりします。あれがいけなかったのか、これがいけなかったのかと、さまざまに考えたのにも関わらず、いつの間にか相手がケロッとしていたりします。

しかしながら、結局は、相手自身の悩みや不安が表に出ていただけで、自分には関係のないことが多いのです。どうして自分のせいではないかと不安に駆られてしまうのでしょうか。

理由の一つに、民族性というものがあるからだと思います。日本人は特に、世界の中でも「察する」民族です。相手の気持ちを察して、先にしてあげたり、気持ちをわかってあげようとします。ところが、ある国の留学生に聞いて驚きました。「僕の国では『~しておいてね』という程度では、しないのが普通。『絶対にやっておいてね!』と言わないとやらない」と言っていました。民族性とはこんなに違うものかと驚きました。

日本人は「察する」民族であり、また「謙虚」です。ですから、その反面「自信」がなかったり、謙虚さが裏目にでてしまうことがあります。

私は留学生の話を聞いてから、もっと自分に自信をもちたいと思いました。そして、相手が不安定な時には、自分が不安になるのではなく、むしろ相手を気遣ってあげたり、そっとしておいてあげたりすることが知恵だと思います。もし、自分が理由で悪かったことがあれば、反省して次から直せばよいと考えれば良いと思います。

自分に自信をもって下さいね!

柑橘系の香りでリフレッシュ!


柑橘系の香りについてご紹介します☆
疲れた時に、レモンや梅干しなど、酸っぱいものが食べたい!と思ったことはありませんか?
食べ物だけでなく、「香り」によっても体の疲れが癒され、精神が安定し、リフレッシュできます。

実際に私が試してみたのは「ベルガモット」という柑橘系の代表格とも言われる香りです。
オレンジやレモンよりもフローラルな甘い香りがします♪
落ち込んでいる時や、気分を高揚させたい時に効果的と言われており、その一方で、精神を安定させてくれます。
精神が不安定な時は、この香りをおすすめします。安心しますよ♪

楽しみ方は人それぞれ。
★湯船に数滴入れてお風呂でリラックス
★アロマフューザーに入れて部屋で香りを楽しむ
★無香料のマッサージオイルにアロマオイルを混ぜて、マッサージする
★掃除機の中に入れると、掃除した後に部屋中に香りが漂います♪
このようにして香りを楽しんでいます。
もし、もっと一度に思いきり吸いたい!と思った時は、入浴剤が効果的!
また、柑橘系の飴を食べて、香りも楽しみながらリフレッシュします。

メーカーごとで若干香りに違いが出てきますので、お気に入りのものを見つけてみてくださいね。また、どの香りが良いのかわからない時は、香りをかいで「ス~」っと鼻の奥まで入ってくるような香りが、今の自分の状態にあった香りだそうです。
ぜひ、試してみてくださいね。