子供がうつ病にならないために


やはり親としては子供がうつ病やパニック障害などのメンタルヘルスにならないでほしいとおもっているひとがほとんどではないでしょうか。うつ病やパニック障害などのメンタルヘルスになってしまうと学校などに行けなくなり、日常生活に支障が出ることも多いですよね。子供がうつ病やパニック障害などのメンタルヘルスにならないようにするために、日頃からちょっとした心がけをしておくことで未然に防ぐことが可能だといえます。

ちょっとしたこころがけは、子供と会話をする。逃げ場所があるかを確認しておく。食欲の変化に注目するの3つです。特に会話は重要です。子供と会話をしやすくするためにも、子供が話しかけてきたときにイライラした対応をしたり、子供が相談してきたときに否定するようなことはやめておきたいですね。日頃から楽しい会話ができるようになっていれば、SOSも受け取りやすくなります。またいざという時の学校以外の逃げ場所があるかも確認しておいたほうがいいですね。近所に学校以外の友だちがいるとか、あまり学校の子が通っていないような習い事をしているとかもいいかもしれませんね。またストレスは食欲にでることも多いです。日頃より食べるようになったり食べなくなったりという変化にも敏感になりたいものですね

 

自分に合った本を見つけよう


私は長年、精神科に通院し、薬も飲み続けています。

ここ1年くらいで自分の心が安らぐ本に何冊か出会いまいした。短い詩の書かれた本や、実際精神病である方が書かれた自虐的な面白い漫画や、悩みごとに解消法を短く解説した本などジャンルはバラバラです。

基本、心が落ちているときは長い文章を集中して読むことは難しいです。なので短い言葉で自分を励ましてくれる、落ち着かせてくれるような本を選んでいます。そしてその何冊かの中から、そのときそのときに合った、読みたいと思う本を読みます。一度読んで救われているので、何度読んでも自分の心に響きやすいのです。

私は何かあるとひたすらずっとそのことを考えてしまうくせがあるので、そんなときはその決めた本の中から選びいつでもどこでもひたすら読み続けています。不安なときはお風呂に持って入るほどです。
しかしそれで本当に何度も何度も助けられてきました。

いい本と言っても、感じ方は人それぞれです。人がいいと言っても、自分には響かないかもしれません。余裕があるときに、自分の心に響くような、落ち着くような本を何冊か見つけておくと、辛くなった時にその本達にきっと救われると思います。是非みなさんも素敵な一冊一冊を見つけて見てください。

メンタルヘルスの対応


家族がメンタルヘルスにかかった場合、やはり戸惑いが多いことでしょう。特に子供がメンタルヘルスになった場合は親として何とかしてあげたいという気持ちが大きくなったり、自分の責任ではないかと自分を責めてしまったりすることもあるでしょう。

まず、子供がメンタルヘルスになるのは一概に親のせいとは限りません。今の学校では人間関係が複雑になり、また携帯電話の普及により、いじめの内容も複雑になってきています。学校でいじめにあっていなくても、うまく友達と会話ができないことにプレッシャーを感じたりすることもあります。親の世代とはずいぶん子供をとりまく環境が変わっていることを認識しましょう。

また、子供がメンタルヘルスになると過度にかまってしまいがちですが、あまりかまいすぎると病気によっては親に依存してしまう場合もあります。しんどくなれば親が優しくなるということを覚えてしまうとなかなか自分で立ち直れる力が出ないこともあるでしょう。

これらの対応は症状によっても違いますので、きちんと医者の診察を受け、医師の話をきいて、どのように対処すればいいのか、どういった病気なのかは一番身近な家族が理解してあげることが一番重要です。

前向きでなくてもいい


ネガティブに物事を考える人に、たいていの人は「前向きに考えよう」と提案しがちです。

私もずっと「前向き」という言葉を言われ続けてきました。そして、逆に、前向きに考えられない自分が嫌になる時も多々ありました。プラス思考の人を何度羨ましく思ったか分かりません。

しかし、最近、前向きでなくてもいいのでは?と思うのです。無理に前向きになろうとしたって、上記の通り、前向きになれなかったときに自分を責めてしまいがちです。それでは余計鬱々としてしまうでしょう。

前向きでなくてもいい、でもネガティブにならなくてもいい、そのままありのままでいいと思うようになりました。目の前の現実、実際に起こったことを考えるのではなく、それを受け入れいるようにしました。今、こういうことが起こった。今、こう思った。このようにただ受け入れるだけということを意識するだけで、心はとっても軽くなりました。

実際に色々物事をネガティブに考えてしまう人は、真面目で、一つ一つを丁寧に考えている人が多いのです。とても良いことでもあると思います。しかし、考えすぎれば、マイナス方面にもいきやすいのです。だから、ありのまま受け止める、ただそれだけを実行するのです。

最初は慣れなくて、考えていない自分が嫌かもしれません。なんだか物足りなくなるかもしれません。

でも、そうすることで心への負担は大きく変わるのではないかと私は思います。

自分がメンタルヘルスかもと思ったら


なんとなく寝つけない、突然情緒不安定になり涙がとまらなくなる、過食、拒食がとまらないなどがあればまずは病院に行きましょう。信頼できる人がいるならその人に一緒に来てもらって一緒に話を聴いてもらうのもいいかもしれません。まずは、自分が悪いのではなく病気になっているのかもしれないと思いましょう。

病院でメンタルヘルスと診断されたらできるだけ家族に一緒に話を聞いてもらうようにしましょう。なかなかひとりでメンタルヘルスの治療をすすめていくのは大変です。しんどい時つらい時に一番そばにいてくれる人に自分の病状を理解してもらうことで、サポートしてくれる味方になってくれることもあるでしょう。

また、体がしんどい場合は無理して学校や仕事に行く必要はありません。痛みのない、熱の出ない病気だってあるのです。体の調子が悪いので休ませてもらいますと伝えてゆっくり休養しましょう。このまま仕事に行けなくなるのではと不安になるかもしれませんが、今はまずゆっくり休むことが重要です。そして病院から処方された薬をきちんと飲むことと、定期的に病院へ行くようにしましょう。できれば病院はあまり遠くないほうが通いやすいかもしれませんね。

まずは医師の診断を受けて治療に専念するようにしてくださいね。

壁にぶつかって進めなくなったら


日常の中で、壁にぶつかって前に進めなくなることがあります。どうあがいても、目の前の環境はそう簡単には変わらないですし、どうしようと悩むことがあります。それをやることを止めようか、諦めようか、中断しようかと考えます。ですがそんな中でも、私は努力してきたのに途中で終わるなんて嫌だという気持ちもありました。

進むにはどうしたら良いでしょうか。一つは「方法を変える」ことです。方法を変えれば進めるかもしれません。ということは、最初にやった方法がただ間違っていたということだけで、絶対的に前に進めないということは無いということです。目的が明確ならば、方法を変えて行ってみようと考えました。例えて言うならば、車で行くべき道を自転車で行ったならば、時間内にたどりつけませんよね。途中で山も谷もあるかもしれません。ですから車という方法で行ってみようということです。

もう一つは「目的を再び考える、変える」ということです。目的が本当にそれで正しいのか再確認し、間違っていたならば、新しい目的をつくることです。これも例えて言うならば、Aという目的地が正しいのに、Bという目的地に向かって進みます。そうなると、せっかく自転車から車で行くという方法に変えたのに、Bという目的地に行くわけですからAにたどり着くことができません。

ぶつかったら他の方法でやる、ぶつかったら目的を再確認する、そのように新たに道を探してみましょう。思ってもみなかったことがみつかるかもしれません。

何をやってもうまくいかない


仕事やプライベート、人間関係、家庭環境など、私が困難な状況に置かれたときに、何をやってもうまくいかないと落胆していたことがありました。さらに周りと比べてしまうから、周りの人はうまくいっているようなのに、どうして私ばかりがこうなんだろうと考えているうちに、精神的にも肉体的にも調子を崩すことがありました。

ですが、よくよく考えてみると、うまくいっている人もそうでない人も、誰にでも必ず困難はあるし、苦しい状況に置かれることがあると思いました。それらをどう乗り越えて行くかは、それぞれ精神力や考え方によって行いが異なります。私はとても悲観的でしたので、考え方を変えてみようと思いました。

「いつでも私は有利な状況にある」と認識しようと心がけました。困難があれば、それに付随して成長できるでしょうし、メンタルも強くなるでしょうし、くよくよ考えていたことが後の人生に大きな結果をもたらすこともあると思ったのです。困難な状況に陥った時ほど、学ぶことが多いのです。ピンチはチャンスと言いますが、まさにその通りで、困難なことは有利なことなのです。そう認識するよう心がけていれば、心の器が広くなり、乗り越えることのできる精神力がつきますし、ほんのちょっとのことでは揺らがなくなり、自信がわいてきます。

自分はいつも有利だ!と思って乗り越えましょうね。

人に壁をつくってしまう


人の目を気にして生きていると、とても気疲れします。私は、人がどのように思っているのか気になったり、気にしていないと思っていても、潜在的にそう感じている部分があります。
相手に話すことが怖かったり、少し距離をおいたり、心を開いて話すことができなかったりします。何かしらの壁があって、話す相手はごく普通の人なのに、話していても心の扉を締め切ったまま、素の自分を出すことができないでいるのですが、何が引っかかっているのかがわかりませんでした。また、少なからず相手は自分のことをマイナスイメージとして受け取っていると認識していることもあります。

知人に相談してみたところ、「人が自分を悲しく思っているだろうとか、マイナスイメージに思っているだろうという認識は、自分自身が自分をそのように見ているからだ」という答えが返ってきました。この答えは私にぴったりでした。そうなのです。いつも私は自分のことを悲観的に考え、悪い方へ考え、自分に自信がなく、精神力もなく生きていました。ですから、相手も「○○と思っているだろう」と勝手に誤解して考え、相手に心を開けなくなっていたのでした。

つまり、自分のことをどう認識するかで、周りが自分のことをどう感じているのかを見る目が変わってくるということです。
まずは、自分に自信をもつことが大切です。「自分はこうだから。。。」などと悲観的に考えることによって、周りからそのように思われているだろうと勝手に解釈してしまうのです。

相手を見る前に、自分自身をどう見ているのかがキーになってきます。自分を褒めてあげて自信をもちましょうね。

他人を羨ましく思ってしまう


隣の芝生は青く見えると言いますが、人の幸せを見ると、羨ましく思ってしまうことがあります。それが時には嫉妬や妬みにもなることがあります。私は嫉妬をしたり、妬んでしまうことがありました。私は苦しい思いをしているのに、あの人はなぜあんなにも幸せな思いをしているのだろうと悔しくなりました。そう考えてしまうのは、実際にそのような状況下にあるからだとも言えますが、その瞬間しか見えていないからです。そのことだけで頭がいっぱいになって不安がったり憤慨したりするのです。

確かに、その一部分だけを切り取って見たら、相手は幸せで、自分は不幸だと言えるでしょう。しかし、長い人生を見たときに、その先どうなるのかは誰にもわからないし、人や環境がどのように変わっていくのかもわかりません。その時見ている一部分がまるで人生の大部分であるかのように感じ、希望や絶望になるのです。

ですから、その場は人生のほんの一瞬の出来事であり、自分にも幸せなことは必ずくると信じることで、苦痛も和らぐと思います。ある人が私にこう言いました。「誕生日を祝ってもらっている人を羨ましく思うのか?でも自分が祝ってもらえる時が必ず来る」と。そのように、祝ってもらっている人のことだけを考えると羨ましく思いますが、1年の中で祝ってもらえる時が必ずくることがわかっているならば、羨ましく思うどころか、祝福したいと思いますよね。

自分にも幸せと感じられるときは必ず来ます。そんな時に、相手は苦痛の中にいるかもしれないし、どうなっているかはわかりませんよね。長い目で見ることが大切です。

感情がころころ変わってしまう


私は新しいものが大好きです。新しい出会い、新しい物、新しいチャレンジ。それらにたくさん挑戦したいと思ってあれこれとやりましたが、やりたいと思うほど努力もできなくて、結局得るものがなかったと思うことがありました。やりたいと思うわりには、そこまで執着もしていないし、行動に至るまでの熱い心もありませんでした。心があれこれと変わって、ただの好奇心のかたまりだったように感じています。そして疲れてしまうのです。

私が出した一つの答えは「単純」だからです。人の心、感情というのは、一日に何回も変わります。その場の状況に応じて、「見るもの」「聞くもの」など、五感で感じた情報に対して様々に反応します。見るもの聞くものに単純に反応し、それに向かって何も考えずに取り掛かるから、長く続かない自分に気が付きました。

もっと真剣に考え、何をやりたいのか、どうしてそれをやりたいのか、それをやるに当たってなぜそれを行うことを選んだのか、動機と目的を考えました。整理できてきた時に気が付いたことは「意志」が大切だということです。「感情・思い・心」と「意志」とは、似ていますが、異なる次元にあると私は思っています。感情は単純なのであれこれと状況によってかわります。しかし、意志とは、環境や状況によって単純に変わることは少ないです。

瞬間の感情だけで動きだすのではなく、それが自分の意志、核心となるならば、長く続けるきっかけになると思います。自分を見つめなおす時間は本当に大切ですね。

すぐ感情が表に出てしまう


自分が堪えることができない状況になったときに、感情がわき上がってきて、人や物にぶつけることがありました。でも後で自分を客観視してみると、自分がいけなかったことであったり、自分の勝手な思いこみによる誤解であることもあります。そのようなことが度々あったので、どうにかしてすぐ感情を出してしまう性格を変えたいと思うようになりました。

何がいけなかったのだろうと考えると、何か事が起こった際に、自分のことしか考えられなくなったことが一つの原因でした。物事の真実を知らず、相手の気持ちを考えず、空気も読まずに、勝手に自分が誤解して判断を下してしまうのです。それによって誤解が土台となってその上に悪い感情がわき上がってきます。感情がわき上がると、そのことだけしか考えることができなくなります。

それを防ぐためにはどうしたら良いのでしょうか。
自分なりに出した答えは「判断するな」です。結局、真実が何なのかわかりもしないうちに、氷山の一角のような表面だけを見て判断し、誤解していたのでした。場を理解して冷静でいるのが難しければ、その場で判断を下すことをやめることで、悪い感情がわき上がるのを少しでも防ぐことができると思います。
勝ってな判断は、誤解をまねくのでとても注意が必要です。ストレスをためないためにも、感情をうまくコントロールしていきましょう。

鬱がよくなる過程で、一番気をつけなければならないこと


うつは病気ですから、治らないことはない、という前提で、体験談を書きます。

私は7年前にストレスでうつを発症し、もちろん症状としてはそれだけではありませんから、いろいろと大変回りに世話をかけました。
抜け出す道がどうしても見つからぬように思えてしまい、金銭的にも苦しく、どん詰まりになっていたとき、あるときふと、その瞬間がくるわけです。

ひとによって全く違いますし、程度にもよりますが、脳内の意識感がぱちん、ときりかわったようになったのを覚えています。別に、宗教でも魔法でも、怪しい操作でもないんです。
自分が、自分で、自分のスイッチを入れ直すときが必ずくるのです。

そうするとまず、いわゆる「躁状態」というように、いままでが暗かった分、まるで正気を取り戻したかの様に、「動ける」ようになります。
普通に思えば、よくなって行動できる様になってきているのだから、よいと思うでしょう。

しかし、うつは治りかけが一番怖いのです。
死にたいと言って寝ているときは、もう「死ぬ行動を起こす気力もない」のはご存じのとおりでしょう。動ける様になったときにこそ、きちんと薬を飲んで、徹夜や無理なスケジュールもなるべくひかえるようにしましょう。

そうして、上に持って行く状態にからだが慣れてきたら、それはもう、寛解が目の前です。
決してあせらないように、というのはなにも、守られたり、労られているわけではありません。
根拠があるから、言われているのです。

上記の様に、あせってあせって、やっと動ける様になったときになにかやってしまうのがいちばんこわいことなのです。なので、「休む」ことを「心がける」こと。薬は、きちんとのむこと。

まじめだから、疲れてしまったひとならば、この約束も真面目に思い込んでしまうのかも知れません。でも、ほんとうはちょっとくらい不真面目になるのが、疲れた心を解放する特効薬といえます。
動けないときは動かなくて良いときなんです。からだがそううったえているのだから。

ただ、今後の社会復帰を考えると、「動ける様になったとき」が、一番の山場なのだということを、忘れないで下さいね。

全てのことにつまらないと感じてしまう


資格の勉強をしていましたが、とてもつまらないと思いながら勉強していました。楽しいことだけをやりたいけれど、実際はそればかりでは生きていけないことがたくさんあります。そのような時、私はお世話になった先輩の言葉を思い出します。私があることに誘われて参加しようか迷っているときに「それは楽しいのですか」と尋ねたことに対して「楽しいか、ではなくて楽しむんだよ」と教えてもらいました。

楽しいことをやることと、楽しんでやることは異なります。やるべきことに対して、幼子のように楽しむのです。楽しいとは思えないけれど、楽しいと考えるようにするだけで、自然と楽しくなってきます。そうしているうちにそれができたことへの喜びがあったり、集中力が増したり、気持ちが進まないことに対して乗り越える精神力もつきます。

その時の気持ちと、考え方との関わりは非常に密接な関係にあると思います。心持ちが良くない時であっても考え方次第でその先が変わるということです。負の考え方をしていれば、心が落ちていきますし、病んでしまったり、諦めたり、持続力がなくなったりします。すっきりしないですし、達成感もありません。だけれど、プラスの考え方は、気持も変える力をもっていますし、その結果を大きく変える力も持っています。ですから、自ら楽しいと思って行うことはとても大きなことなのです。

一瞬の感情を治められない


私は、衝動的な感情をを治められず、人にきつい言葉で当たってしまうことがありました。後に、なんてことを言ったのだろうと思うのですが、感情がこみ上げてきた瞬間というのは、自分の感情で頭がいっぱいになって、相手のことを考えられなかったり、自分を客観視できなくなります。本当の心はそうではないのに、一瞬の感情で血気に満ちたり、自暴自棄になったりします。このようなことを繰り返していると、誤解されやすくなりますし、自分が損をします。

しかも、私の問題点は、物には当たることはありませんが、人に当たってしまうところです。人に依存しやすくもあるし、人に牙をむけやすくもなります。これでは周りを振り回してしまうのでとてもやっかいな性格です。しかし、感情を押さえ込むのはよくありません。押さえ込んでもため込んで爆発してしまいます。

誰しもが必ず何らかの一瞬の感情を治められなくなる時があると思いますが、それをうまく解消できる人は、①考え方を変えられる人②気にしない人③カラオケやスポーツなどの「人」以外で解決することのできる人だと思うのです。

すぐには変わらないので、私はまず、人に一瞬の感情をぶちまけたり、過度に依存することをやめようと思いました。ネットで同じ境遇の人と交流を交わすのも良いですし、前向きに考えられるような話題のある文書を読んでみても良いでしょう。他に楽しいことを探すことなどして、うまく感情をコントロールしていくことが大切だと思います。

時が過ぎれば自分を客観視できるようにもなると思いますので、うまくできなかったところは徐々に克服していければ良いと思います。
私もまだまだ練習が必要ですが、少しずつで良いので進んでいきましょうね。

辛いことがある時ほど感謝しましょう


人は、喜ばしいことがあったときによく「ありがとう」「感謝します」といいます。しかし、辛いことがあった時には愚痴や悪口、諦める言葉、悲しい言葉などの不平不満を発します。私も今までそのようでした。でも、そのような言葉を発するほど、イライラやストレスがたまったり、後になって後悔したり疲れたりします。

私は最近、辛いことがありました。心が苦しく、その感情を抑えようにも収まらなくて、愚痴をこぼしたりしました。でも、考えれば考えるほど、苦しくて辛くなるだけでした。自分が悪いこともわかっていますし、相手にも過ちがあったこともわかっています。ですが、自分の現状をみたときに苦しさでいっぱいになっていたのでした。それでも、これからはそのようにするのはやめようと決心しました。

どう考えたらこの苦しさがなくなるだろうと考えました。そのようなとき、辛いことはいったん自分の隣に置くようなイメージを浮かべて、自分の心を空っぽにするのです。そして、「感謝」するのです。何に感謝するでしょうか。「今の自分があること」に感謝するのです。辛いことになってしまったけれども、今の自分がこのように生かされていることに感謝するのです。最初は苦しくて涙が出てきましたが、口に出して感謝を続けました。辛いことがあったことで、次につなげられること、新しい自分に生まれ変われること、苦しさをバネにして自分が成長できることに感謝し続けました。すると、漸進的にではありますが、心に平安がおとずれたのを感じました。悪口を言ってすっきりしていたのとは、感覚が全く違うのです。

そうしているうちに、日々の生活に感謝するようになりました。食べること、着ること、今の自分が生かされていること、小さなことから大きなことまで感謝するようになりました。今までは不平を漏らしていたことにも、認識を変えて感謝するようになりました。すっきりするどころか、自らエネルギーを発することが出来るのを感じました。

いつも感謝するならば、辛いと思っても、毎日が良い日になると信じています。

謝ったのに許してもらえなくて傷ついたとき


何かを失敗して、もしくは自分のせいではないけれど、謝らなければならない時があります。相手は怒って文句までつけて許してはくれません。それで心が傷ついたり、落胆して、自分は情けないですとか、自分のことを卑下してしまうことはありませんか。私は自分に自信がなく、自分のことを悲しい目で見ることしかできなかった人間なので、いつも落胆して悲しみにくれていました。

でも、私は考えました。たとえ許してくれたとしても、それで良いというのではないと思います。大切なのは、自分が「真実な心」で謝ることではないかと思います。真実な心で謝ったのならば、相手が納得してくれなかったとしても、それで良いと思います。真実な心というのは、表現することが難しいですし、伝わるかどうかはわかりませんが、心から謝ればそれで良いのです。

もし真実な心で謝っても文句を言ってきたりしたら、それは相手の人格の問題ではないでしょうか。そう思います。私も、謝ってもらう立場に立った時がありました。なかなか怒りがおさまらず、あれこれと言ってしまったことがあります。しかし後々に後悔しました。相手があんなに真実な心で申し訳ないと謝ってくれたのに、自分の性格やその場の感情で相手を傷つけてしまったことを後悔したのです。

ですから、大切なのは「真実な心」で謝ったならば、後に過ちを繰り返さないように努力するすれば良いのです。決して自分のことを卑下する必要はないと思います。真心は大事ですね。ぜひ参考にしてみて下さいね。

前向きな言葉を発してみましょう


今までの人生で、一度は人を嫌いになったり、苦労して愚痴をこぼしたことがあるでしょう。憎しみや嫉妬は本当に心が煮えたぎるような思いになりますね。しかし、愚痴や人の悪口をいうことで、それが自分自身に悪影響を及ぼしてしまうことがあるのです。

ある人のことを嫌いで「あの人嫌い」と言い続けたとしましょう。そうしますと、自分の脳内は「嫌い」という動詞だけを受け取り、「嫌い」という言葉が自分自身に向けられ、自分を傷つけているということなのです。負のエネルギーの言葉ばかりを発していると、自分自身に負のエネルギーがやってきます。そして更に憎悪が増したり、負の心が膨らみます。それは結局自分を疲れさせてしまいますね。私もお恥ずかしながら人を憎んだり嫌いになったことがありました。でも、振り返ってみれば、本当に自分が疲れるだけのことでした。言葉の負のエネルギーを受けてしまったのです。

逆に、「あの人、素敵な人だね」とほめたり、感謝したりすると、脳内が「素敵」「感謝」という言葉を受けて、正のエネルギーをもらうことができるのです。「ありがとう」や「感謝します」と言えば、心が気持ちいですよね。これと同じように、もし自分が辛い状況におかれ、人を憎むようなことがあれば、「これは結局自分にとってプラスになるしかない人(事)だ」と前向きに考えるようにしてみましょう。そうすると、少しずつではありますが、プラスのエネルギーを受けて回復が早くなります。むしろ、その環境を利用して、自分を磨くチャンスにもなるのです。未だに私も不安定なときはありますが、「考え方」を変えるよう努力しています。皆さん、一緒に乗り切りましょうね。

叱られた時の考え方


自分のことを褒めてくれる時には好感をもち、よく従いますが、その相手に少しでも注意されたり叱られたりすると、その人を突き放してしまうことがあります。相手とはそれきり仲良くできないし、気まずく、苦しい思いをしながら一緒にいなければなりません。

対話は、言葉の裏に「心」「情」というものがあることを忘れてはならないと思います。心を受け取らず、文字だけを受け取ると、怒りや寂しさがこみあげてきます。そして、その人は自分にとっての敵だというように、悪い人だと絶対視する感情や考えが浮かぶようにもなります。

ではどのように考えれば良いでしょうか。例えば、親から褒められたら喜ぶし、叱られたとしても根本的に嫌いになったり、心から嫌いで縁を切るという感情を抱くことはほとんどの方が無いと思います。それは、幼いころから自分のことを受け入れてくれ、認めてくれる存在であったからです。少なからず「心」が通じているし、愛をもって接してくれているのがわかるから、叱られても親を「悪い親」と絶対視することはないでしょう。

また、ハサミをふりまわす子を親は当然叱りますね。「そんなことをしていたらダメだ」と。でもどうして親は叱るでしょうか。子を傷つけたいわけではありませんね。子を愛しているから、けがをすると危ないから叱るのです。親は子を想って言っているし、痛めつけたい心など全くないはずです。

ただ、社会で親と違うのは、自分のことを深くまで知らない人に言われると、言葉そのものだけを受け取ってしまいがちです。特に日本人は真面目だから、言葉通りにしなければならないと考えて行います。まるでロボットのようです。ですから、叱られて反省して次の行いに向かうのは良いことですが、叱ってくれたその人の「心」を汲んでみなければなりません。意外と、嫌な印象から愛情だったのだと考えがかわることがあります。職場や学校でぜひ「心」の会話をしてみて下さいね。

心が窮屈になったら目をつぶって脳を休ませましょう


生きていると、心が窮屈になって落ち着かなくなることがあるでしょう。苦しくて孤独を感じたり、何をすべきかわからなくなったり、落胆したりすることで、心が締め付けられることがあります。

一旦すべてのことを横に置いて、何も考えない時間をつくりましょう。心を空っぽにしてからだの力を抜くのっです。5分間目をつぶって瞑想してみるのも良いでしょう。温泉などで、湯船につかっているときに目をつぶって休んでいる人を見かけたことがあると思います。神経が疲れてしまったときは、何も考えずに心、脳を休ませることで、少しでも心に余裕をもたせてあげることができます。

「落ち着く」「力を抜く」「集中する」などのようなことには、目をつぶって脳を休ませることが近道の一つでもあります。心が落ち着くと、冷静になり、考えていたことの整理がつきます。そのうちに、自分にとって何が大切なのかが浮かんだり、どうやって前に進めば良いのかがわかったり、アイディアを思いついたり、自分の存在価値を確かめることもできます。冷静になると、見えなかったものが見えるようになると思うのです。

また、集中力が増すこともあります。目をつぶって余計なことを考えなくなるので、雑多な考えが浮かばなくなり、集中する訓練にもなります。うまく心とからだのリフレッシュを行って下さいね。

心も体も換気をして調子を整えましょう


外から帰ると部屋の中のもわっとした空気、気になったことはありませんか?私は換気の大切さをあまり理解していなかったのですが、換気をすることで精神的にも、肉体的にも良い方向へ向かう効果があることを知りました。

換気をする効果は、消臭や室温を調整をもたらすこと以外にもあります。その一つが除湿です。私の体はとても湿度に影響されやすく、それがわからなかった時は夏は冷房をつけていました。しかし不快感が拭い去れなかったので、冷房を除湿に切り替えたり、換気をしたりしたところ、爽快感が増しました。むくんだ体も和らぎ、呼吸も楽になり、就寝するときも気持ちがよかったです。

また、カビの発生にも予防があります。見えないところで湿気がたまってカビが発生し、カビのせいで体調不良を起こすこともあります。カビは胞子なので空気中を浮遊するので吸い込みやすく、様々なアレルギー症状を起こすことがあります。

もう一つは除塵です。空気中のほこりには、目に見えない有害な雑菌が付着していることもあります。もし一人暮らしであれば、狭い部屋にキッチンや洗濯物など多様な家具が置いてあるので様々な種類の埃が舞っている可能性があります。

私が頻繁に換気を行うようにしたところ、呼吸をはじめ、体が楽になったのを実感できました。また、精神的にも楽に過ごせるようになりました。最近のマンションやアパートは気密性がとても高いですね。意識して換気することを心がけましょう。心も体も解放してくれる手助けになりますよ。

一度に頑張りすぎてしまう人へ


目標のために飲まず食わずとは言いませんが、全力投球で突っ走ってしまうことがありますよね。一気に完全にやり遂げようと走るがために、途中で疲れきってしまうことがあります。そしてまたやる気を出して一気に行って、また途中で疲れ切ってしまうことを繰り返すのです。

マラソンをするとき、同じ距離を一定の速度で走るのと、ダッシュとストップを繰り返して走るのとでは、前者の方が楽ですよね。これと同じく、一定のペースで楽に続けることも大切なのです。

やりきろうという心構えも大切ですが、「続ける」という考えも大切だと思うのです。すぐに成果はでないけれども、絶えずやり遂げるまでコツコツ続けてくということです。一度に頑張りすぎないことと、途中で止めず、絶えず続けることが秘訣です。

そして時になって、コツコツと続けて努力したことが積み重なって、一定条件を超えたときに急速に大きくなったり、結果が出たりするのです。それに、持久力がつきます。最近は本当に持久力は大事だと思っています。瞬発力はあるのですが、なかなか長続きしません。ですから、最初は1しかできないとしても、毎日1を続けたらいつかは2になりますし、それを続けていけば良いと思うのです。

一度にやらなければならないこともあるでしょうから、うまく優先順位をつけながら組み合わせてやってみて下さいね。

大変なことがあって諦めたくなったとき


心に負担なことが起こってどうしようかと焦り、不安になり、諦めたくなる時があるでしょう。仕事や学業、人間関係と私たちをとりまく環境状況に、時に押しつぶされそうになることがあります。そのようなとき私は、目の前のことに背を向けて諦めたくなることがあります。

成し遂げようとしていること、やるべきことは人それぞれにあると思います。しかし、目的を成すことだけが良いことでしょうか。もちろん、結果として成し遂げられたら嬉しいですよね。ですが、困難にぶつかったとき、心が折れそうでどうしようもなく諦めたくなったとき、とても苦しいですよね。

私が困難にぶつかり、不安定な時期がありました。そこである人が一言くれたのです。「本当に大きいことは、最後まで行うことだよ」と。私はこの一言に助けられました。成功することが大きなことではなく、結果がどうであれ、それが問題ではなく最後まで行うかどうかが問題だと思いました。

私はできるだけ粘ろうと決心して行いました。結果としてはまだまだでしたが、精いっぱい最後まで行ったことに達成感を感じ、次もまたコツコツやろうという気になったのです。また、最後まで行ったからこそ、それまでの経験が役に立ったこともありました。そうしているうちにいつの間にか、目的を成すようになったのです。

結果が出ても、それで終わりではありません。最後というのは、人生が終わってみなければわからないし、結果が出たとしても一つの通過点としての結果にすぎないと思います。ですから、共感して下さった方は、諦めたくなった時、この言葉を思い出してみてくださいね。

相談を受けた時の対処法


メンタルヘルスの症状がでる前にストレスがある状態で、相談することで本人が前向きになり病気にならないという場合もあります。職場の同僚や友人から相談を受けた時、どのようにするのが一番良いのでしょうか。

まず一番重要なのは「話を聴く」ということです。「聞く」ではなく「聴く」とあえて書きましたが、私たちは相談されるとつい、早く答えをだして助けてあげなきゃいけないという気持ちになってしまいがちです。そのため話の途中でアドバイスや助言をしてしまうことがあります。

しかし、話している本人にとっては話を聴いてほしいだけかもしれません。まずは相手の話を全部聴いてあげることが重要です。アドバイスをするのではなく、頭の中で悩んでることの整理を手伝うくらいの気持ちで聴いてあげるほうがいいかもしれません。

悩んでいる本人の頭の中は、自分が何で困っているかわかっていないことが大半です。そのためその状態でアドバイスされるよりは、整理し、何が困っているかを明確にしたうえで、本人がその問題にどう対処していくかを考えるのが一番よいと考えます。そして相談者が出した結論について、もっとこうしたらそれがよくなると思うよ!などの前向きなアドバイスをしてあげることで、前向きな考えへと導けるのではないでしょうか。

ストレス解消法


最近では情報機器の発達もあり、常にだれかとつながっている状態が容易になってきました。便利な反面、常に誰かに気を使って生活している状態にもなっています。その上に日々の仕事では自分の好きなことだけをやるわけにはいきません。そんな状態が続かないように、適度にリラックスrする時間をとってストレスを解消することでメンタルヘルスの予防につながります。

友人とおしゃべりなどもストレス発散法の一つですが、これでは常に誰かに気をつかっている状態は解消されません。気心の知れた友人で会っても多少の気遣いはするものです。ではどうすればよいのか。

ひとりで夢中になれることに取り組むことです。ひとりで何か好きなことに夢中になっている間はほかのことは何も考えません。ゲームでも、音楽鑑賞でも。料理を作ることでもなんでもかまいません。そんな夢中になれるものを一つ見つけることが重要です。趣味に没頭している間携帯の電源を切ってしまうのも一つの手かもしれませんね。

そして月に一回や、なんだかわからないけど疲れたなーという時は、時間を取っていただき。ぜひその夢中になれるものに取り組んでください。きっと心がリフレッシュされることでしょう。

ストレスをためない人になるには


同じことが起きているのに、ストレスがたまる人、たまらない人は一体何が違うのでしょうか。

自分が望まないことが起きてしまったときにストレスをためていない人はどうするのか、たとえばご近所づきあいで見てみましょう。たとえば急に自治会の運動会に出てほしいといわれたが、自分は運動が苦手な場合。

まずは「否定」をします。急に出るなんてできない。運動苦手だから走るなんてできない。そして「抵抗」します。他にも人がいるのにどうして私なんだろう。そして「探究」として、運動会に出ないという現実を受け入れます。明日走れるようにするにはどうしたらいいだろう。と考えることです。そして「決意」します。どうせでるのなら納得いくように今からでも少し練習しよう。明日ベストを尽くせるようにしよう!と前向きに考えることでストレスをためずに処理をすることができます。

ストレスをためてしまう人はこのプロセスのどこかで躓いてしまう人です。特に躓きやすいのは始めの二つです。たとえば「否定」で躓けば、私には走ることなんてできない。明日なんて来なければいいのに。もしかしたらこけてしまうかもしれないとずっと考え込んでしまいます。「抵抗」で躓けば私に走れって言うなんてきっとこの人は私のことが嫌いなんだ。明日嫌なことを任されたりするんじゃないかなどど考えてしまいかねません。

突然前向きに考えられるものではありませんし、このプロセスを頭のなかにおいておくことで少しずつ、前向きに考えられストレスもへるのではないのでしょうか。

言われたことに対してとっさに出る感情を抑える対処法


相手に思いもよらぬ良くない言葉を言われたとき、心がとても驚きますよね。時にはカッとなって、自分も相手に攻撃的な言葉を発してしまったり、時には言葉が突き刺さって一人で考え込んでしまったり。

そんな時は、カッとなったり、落ち込むことより先に、立ち止まって10秒、20秒、考えてみましょう。「なぜ相手はこのようなことを言ったのだろうか」と冷静になって考えるのです。そうしたら、意外と、相手の心が不安定だったからこそ、良くない言葉を発っしたりしたんだなということがわかることがあります。相手に嫌なことや、大変なことがあったのかもしれません。もしかしたら、悲しいことがあったのかもしれません。

原因は自分にもあるかもしれないけれど、相手の言葉の裏に隠された心の状態によっても、発せられる言葉や行いが違ってきます。ですから、良くない言葉を言われたあなただけの責任ではないということです。

私はそれに気が付いた時、むしろよくない言葉を発した相手を憐れむ心がわいてきたことがあります。決して相手を卑下して思うのではなく、「何かあったんだろうか」と本当に心配になりました。それで、相談にものるようになったのです。

発せられた言葉の裏には、その人の心の状態の不安定さがあることもあると心得ておきましょう。それだけで、冷静にもなれますし、分析したり、チームワークをうまくやる助けにもなりますよ。

 

「まぁ、いっか」


真面目な人ほど、うつ病になりやすいということをご存じでしょうか?

真面目で完璧主義。
こんな人が身近にいる、または自分自身がそうであると感じる人は、うつ病にならないようにするために、意識して次の言葉を口癖にできるように心掛けるといいと思います。

「まぁ、いっか」

何だ、それだけのことか、と思う方が多いと思いますが、うつ病になりやすい人というのは、これを口にしたり、思ったりすることに対して、強い抵抗を感じる人が多いのです。

私がパニック障害をきっかけにうつ病も併発し始めたときに、この「まぁ、いっか」の話をカウンセラーの方から教えていただきました。そのとき、慣れないうちは意識しながら「まぁ、いっか」と大きな声で言うようにアドバイスを受けました。

実際に「まぁ、いっか」という言葉を口にしてみると自分自身が今までいかに「まぁ、いっか」という言葉を口にしていなかったかが分かるくらい、違和感を感じました。

けれど、不思議なもので「まぁ、いっか」という言葉を一日の中で何度も何度も大きな声で言うことで、「まぁ、いっか」という言葉が口癖になってきます。そして、自然と自分の中にも「まぁ、いっか」という気持ちが湧いてくるのです。

「まぁ、いっか」という気持ちで過ごすということは、決して適当や投げやりな状態になるのではなく、70%~80%くらいの気持ちで生活していくことです。いつでも全力で常に100%の力を出して生活している人は、これだけで生きていくのが数十倍も楽になっていくはずです。

言葉がきつい人からの対処方法


言葉は生活の中で伝達手段として必ず必要なものになります。それをどのように表現して伝えるかによって、相手にエネルギーを与えることもあるし、嫌に感じてしまうこともあります。人の感情や性格によって言葉は時には甘く、時には剣のように使われます。

時々、言っていることは正しく、内容もわかるけれども、言い方や表現方法がきつい人と接することがありますよね。そのようなとき、心を閉ざすような感覚になってしまったり、落ち込んでしまったりします。

そのようなときは、相手の言う言葉を自分なりに置き換えて考えてみましょう。例えば、「これじゃ○○できないよ」と言われたときは「○○したらできるのかな」と置き換えるのです。指示する人が使ってしまいがちな言葉の一つに「○○ではできない」という言葉があります。これは時には相手をそこで立ち止まらせ、否定させます。

上記2つの言葉の違いは何でしょうか。それは、肯定的か否定的かということです。「○○ではできない」という言葉は否定的であり、「○○したらできる」と前へ進む考え方が肯定的な言葉です。つまり、言葉がきつい人の中には、否定語ばかりを使う人がいます。もちろん、言葉がきつくても肯定的な言葉を発してくれる人はいます。でも、否定的なのか、肯定的なのかをわかって言葉を受け止めることは、心に言葉の内容がしっかりと入ってくるのか、もしくは、言葉だけが刺さり、自分が否定されたように受けとってしまうのかに分かれると思うのです。

些細なことのように思えますが、言葉は心に響くものなので、とても自分に影響が出るものなんですよね。まずは否定的な言葉を言われたら、肯定的な言葉に置き換えて考えてみましょう。これは、自分自身の考え方を前向きにするトレーニングにもなります。ぜひ、実践してみてくださいね。

パキシルの副作用

パキシルは抗鬱剤の一種です。どの薬にも多かれ少なかれ副作用はありますが、パキシルはよく使われる薬なので副作用をしっかりと理解しておくことが必要です。

眠気や倦怠感、口の渇き、めまいや頭痛、便秘や吐き気など一般的な副作用が多く見られます。私も最初は眠気と吐き気、嘔吐がありましたが、薬の量を調節することによって徐々に体に慣らしていきました。2ヶ月経った頃には普通に飲むことができました。こういった症状であれば、担当医と相談して調節していくことで改善されるものだと思われます。

しかし過去に問題になったように、錯乱状態になったり、自殺行為をしようとしたり、幻覚や痙攣などの副作用が現れるととても危険です。場合によっては治す為の薬が、余計に症状をひどくさせる場合もあるのです。こういった症状が現れたら、速やかに病院を訪れましょう。これは上記のように、慣れれば治るというものではないからです。本人が自覚すること、そして周りが気づき対処することが大切です。

こういったことを知ると怖い…と思いがちでしょうが、どの薬にも合う合わないといったことや、副作用はあるのです。しかし自分が薬をよく理解した上で飲めば、とても良い薬なのです。実際にパキシルは世界でも多く使われている薬です。それだけ効果が期待できる結果があるからです。

知識をもった上でパキシルと上手く付き合い、自分の心が楽になることが一番ですね。

休息の重要性


メンタルヘルスの予防策として、やはり休息は重要です。

休息には「積極的休息」と、「消極的休息」の二種類があります。「積極的休息」は軽いストレッチや軽めの運動で血行をよくすることで、休息を取るというものです。他にも自分が楽しいと思えるもので、負荷がかからないものも同様です。「消極的休息」は横になってのんびりすることや、入浴などです。

ついつい休息をとるというと、「サボっている」「自分は楽をしている」と思ってしまう人も多いかもしれません。しかし、トップアスリートなどは試合で最大限の力を発揮するために、計画的な休息をとっています。トレーニングでは最大限の負荷をかけ、終わればきちんとした休息をとることで向上していくといわれているようです。

これは私たちの日常生活と同じで、学校では授業の合間に休息時間がありましたが、社会人になると昼休みのみという方がほとんどですし、その昼休みも「頑張らなくては」と仕事に没頭している方も多いかもしれません。しかし、計画的に仕事を行い、自分の計画より早く終わった時などは、飲み物などを飲んだりして少し休息をとる。皆の前で休息をとれる環境でなければお手洗いにいくといって机を離れ、少し深呼吸してみるなどリフレッシュをすることで、仕事のパフォーマンスもあがるのではないでしょうか。

仕事のパフォーマンスが上がれば、休日にもきちんと休みをとることができ、休息を取ることでメンタルヘルスの予防にもつながります。